一億総しょーもな化
最近「しょーもないな」と思うニュースが多い。
毎日、目にするのはくだらない炎上ニュース。例えば、TwitterやFaceBookでの言動が原因で炎上、不倫が発覚して炎上。
週に1回か2回は必ず目にするのではないだろうか。
それを面白おかしく紹介するメディアがいる。それを見てさらに個人への口撃が増長する。
個人の見解として意見を言うのは自由だ。
例えば、「100時間の残業で過労死するのは根性がない」という意見も、ひとつの意見としてはあっていいと思う。
声を大にしては言えないが、「そんなに、イヤならやめて逃げちゃえば良いのに」と正直私も思う。
(けど、こんなことを言うと、きっと叩かれるんだろうなって思うから言わない。)
こんな、いただけない言動・行動が多いのは確かだ。それが許されるとは私も思わない。
ただ、こんなにフルボッコにされます?みんなホントにそんなに許せないの?って思う。
「はいはい、そんなことを公共の場で発言しちゃうなんて、アホだね。」ってみんなが心の中で思えばそれで終わりでよくない?
当の本人は、多分、「別にお前に迷惑かけてないじゃん」って思っているよ。
確かゲスな人は不倫問題を起こしたとき、そんなニュアンスの言動をして、さらに炎上してたと記憶している。
言いたいことはわかる。確かに、関係者以外には一切迷惑をかけていない。(でも、それは言っちゃいかんだろ、君は笑。)
そういえば「お騒がせして申し訳ありません。」もひっかかる。
勝手に騒いでいるのはマスコミとそれを見て喜んでいる一部の人たちだけだから。
少し話がそれたけど、ホントに大事なことってなんでしょう。
マスコミは一部の騒ぎたがりに迎合するニュースを垂れ流すことに存在意義を見出していていいのだろうか。
もう、多くの人の頭からはするりと抜け落ちてしまっただろうが、
例えば舛添元都知事は都知事は辞したものの、特に責任をとることなくボーナスまでもらって優雅に暮らしているだろう。
こっちのほうがよっぽど許せないと思わないのだろうか。
みんなが汗水たらして、稼いだお給料から払われている血税の一部をかすめ取っているのだ。(しかも大部分の人の年収より多くの額をだ。)
そろそろ日本国民が大人になるときが来たのではないだろうか。
報道がなくなった = 解決したというわけではもちろんない。報道がなくなった瞬間に瞬間に矛先を変えて、次の獲物を探す低レベルな発想。
それに踊る、アホもアホだが、迎合するマスコミもいかがなものか。
きっと、どのニュースにも騒いでいる人は一緒でしかもそんなに多くないよ。
マスコミの存在意義が問われる。